鳥取地方裁判所米子支部 平成2年(ワ)88号 判決
原告
山川忠善
右訴訟代理人弁護士
野島幹郎
被告
米子市
右代表者市長
森田隆朝
右訴訟代理人弁護士
石津廣司
同
松崎勝
右指定代理人
中村治夫
同
長谷川滋
同
藤田達美
同
吉持武平
被告補助参加人
国
右代表者法務大臣
前田勲男
右指定代理人
田村和志
同
森本浩志
同
井田修二
同
高多寿
同
小谷昭男
同
妹尾親彦
理由
第一 土地明渡請求
二 請求原因2の事実は当事者間に争いがない。
三 抗弁1(一)の事実について判断する。
乙第二号証(米子市長宛の寄付申込書と題する書面)には、原告名義の署名押印と本件一土地を市道用地として寄付することを申し込む旨の記載があり、右署名と弁論の全趣旨により原告が自署したものと認められる訴状及び訴訟委任状の原告の氏名とを対照すると、その筆跡は同一であることが肯認できるので、右書証は真正に成立したものと推定することができる。
しかし、右書証はその記載から明らかなとおりあくまで申込書であって、贈与の意思を確定的に表示したものとまでは解されないこと、本件全証拠によっても右書証が何時どのような経緯で作成されたかは明確でないこと及び証人長谷川滋の、原告からは本件一土地の寄付はもらえなかった旨の証言に照らすと、右書証のみによっては抗弁1(一)の事実を認めるに十分でなく、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
よって、抗弁1(一)は理由がない。
四 抗弁2の事実について判断する。
1 〔証拠略〕によれば、被告は、昭和四九年三月ころ、道路法八条に基づき、米子市上福原一八七二の七地先を起点とし、一八五四の一地先を終点とする幅員四メートル、延長八五メートルの区間を市道上福原新田四号線として路線認定し、市道としての供用を開始したこと、右区間には本件一及び二土地がその敷地として含まれていたこと、その後昭和五六年に米子市全域の市道の見直し整備が行われることになり、同年三月、右区間は改めて市道上福原新田五号線として路線認定され、以後現在まで市道として使用されていることが認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
2 〔証拠略〕
(一) 本件一及び二土地付近一帯の農地は昭和三〇年代後半より宅地開発が進み、これに伴い建物を建築するため建築基準法所定の道路が必要となったこと、そのため、原告を含む付近の土地所有者が各自の所有する土地の一部を道路敷地として提供して同法所定の道路位置指定処分を受けることとなり、昭和四〇年一月二六日付けで、本件一及び二土地を含む一三筆の土地について、鳥取県知事により道路位置指定の告示がなされたこと、右処分の申請人は原告であったこと、
(二) 本件一及び二土地を含む右道路は、以後私道として使用されていたが、周辺の宅地開発の一層の進行に伴い交通量が増加し、道路が破損して通行に危険を生じる状態になったこと、そのため、周辺住民は被告に対し、昭和四五年ころから、右私道を市道として路線認定し、被告で路面の舗装及び補修などの維持・管理をするよう要望するようになり、被告は、これを受けて前記1のとおり市道として路線認定したものであること、
(三) 被告が市道として路線認定をするに際しては、敷地所有者から用地の寄付又は使用承諾を得ることとされており、いずれも得られない場合は路線認定はなされない扱いとなっていること、本訴提起後、被告建設部次長兼管理課長長谷川滋が、本件一及び二土地の寄付又は使用承諾の有無について調査したところ、本件一土地については原告が市道としての使用を承諾した、本件二土地については景本ら四名が被告に寄付した筈である旨の回答を近隣住民から得たこと、
(四) 前記市道の路線認定がなされてから本訴提起に至るまで、本件一及び二土地を市道の敷地として使用することについて原告や景本ら四名が被告に異議を述べたことはなかったこと、本件一及び二土地の固定資産税は、遅くとも平成二年度以降は、現況地目が公衆用道路であるとして非課税となっていること、
以上の各事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
3 右2で認定した事実によれば、原告は、被告が本件一土地を市道の敷地として路線認定するに際し、その使用を承諾したものと推認するのが相当であるところ、市道の敷地については所有者は私権を行使できないのであるから(道路法四条)、抗弁2は理由があり、その余の点につき判断するまでもなく、原告の本件一土地の明渡請求は理由がない。
第二 損害賠償請求
一 請求原因1の事実のうち、本件三土地がもと武安商事の所有であったこと及び被告補助参加人が同土地の西側に隣接する本件国有地を所有していることは当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によれば、原告、山川秀明、山川栄子及び佐藤よしゑは、昭和六三年一一月ころ、本件三土地を同土地の南側に隣接する一四九八番二六の土地とともに武安商事から買い受け所有している(持分各四分の一)ことが認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
二 請求原因2の事実のうち、被告が昭和五八年二月ころ図面(22)、(28)、(29)の各点を順次直線で結んだ線上に本件鋼矢板を打ち込んだこと及び本件係争部分が現況では堀川の中に位置することは当事者間に争いがないところ、原告は右係争部分は本件三土地の一部であると主張するので判断する。
1 〔証拠略〕によれば、本件三土地及び一四九八番二六の土地の公簿面積の合計は八三〇・二五平方メートルと認められるところ、原告の主張によれば、現況の右各土地(別紙図面青色部分)の実測面積の合計は四九八平方メートルであり、公簿面積の合計よりかなり少ないことが認められ、原告本人の供述中には、右各土地を武安商事から買い受けた際同社の代表者武安森一は「自分の土地に鋼矢板を打たれている。川の半分位は自分の土地があるだろう。」と言っていた旨の部分がある。
しかし、原告本人の右供述は後記2認定の事実に照らし信用できず、現況の本件三土地及び一四九八番二六の土地の実測面積の合計が公簿面積の合計より少ないとの事実のみによっては、本件係争部分が本件三土地の一部であると認めるに十分でなく、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
2 かえって、〔証拠略〕によれば、
(一) 本件国有地は、本件三土地の西側を南から北に流れる河川である堀川の河川用地であるが、堀川のうち本件係争部分の位置する上流端右岸を米子市西福原字大沢七・八四八番地先、左岸を同市両三柳字大沢一三・四番地一地先から、下流端右岸を同市西福原字堀川尻一五三九番七地先、左岸を同市両三柳字平八道三〇二七番三地先までの区間は、昭和五八年二月当時、河川法一〇〇条の準用河川に指定され、被告市長が国の機関委任事務として管理していたこと、
(二) 被告は、昭和五七年ころまでに、堀川の河口域に小型漁船の泊地を新設する工事を行うことを計画し、右工事に先立って、建設省所管国有財産部局長鳥取県知事の受注者同県米子土木出張所長に対し、右河口域付近に存在する本件国有地と本件三土地を含む隣接民有地との境界を確定するよう求めたこと、これを受けて、米子土木出張所長は、本件三土地及び一四九八番二六の土地の所有者であった武安商事との間で、右各土地と本件国有地との境界について境界確定協議を重ねたこと、その結果昭和五七年六月二二日の現地立会でおおよその合意が成立したので、右境界線の北東端付近に境界標としてプラスチック杭を設置し、南西端付近は橋台にスプレーで着色することによりその位置を明示し、同日付けで境界確定現地立会調書を作成したこと、そして同年一二月二七日の再度の現地立会を経て昭和五八年二月一日に境界確定協議が成立し、同日付けで国有財産境界確定協議書を作成したこと、昭和五七年六月二二日の現地立会及び国有財産境界確定協議書の作成に際しては、前記工事を担当していた被告経済部農政課水産係の田子仁も立ち会っていたこと、
(三) 被告は、前記のとおり境界確定協議が成立したことから、昭和五八年二月ころから同年三月ころまで、堀川の河口域に小型漁船の泊地を新設する工事を行ったこと、前記鋼矢板は、右工事に先立ち堀川上流から泊地への土砂の流入を防ぐため設置されたものであるが、その際田子は、現地に赴いて昭和五七年六月二二日の現地立会の際設置されたプラスチック杭と橋台のスプレーによる着色の存在を確認の上、両者を直線で結んだ線を本件三土地及び一四九八番二六の土地と本件国有地の境界と認定し、認定した境界線から約一五センチメートル本件国有地側に入った地点に鋼矢板を設置したこと、
(四) 被告が鋼矢板を設置してから本訴提起に至るまで、前記境界確定協議の内容や鋼矢板の設置場所について武安商事及び原告らから異議が出されたことはなかったこと、
(五) 前記国有財産境界確定協議書添付図面(丙第一〇号証の二)には、本件三土地及び一四九八番二六の土地の実測面積の合計が四九六・一七平方メートルである旨の記載があり、右面積は本件係争部分を除いた、原告が現況の右各土地と主張する範囲(別紙図面青色部分)の実測面積の合計四九八平方メートルとほぼ合致すること、
以上の各事実が認められる。
3 右2で認定した事実によれば、本件係争部分は本件三土地の一部ではなく、本件国有地の一部と認めるのが相当であるから、原告の本件損害賠償請求はその前提を欠き理由がない。
第三 結論
よって、原告の本訴請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用(参加によって生じた費用を含む。)の負担につき民事訴訟法八九条、九四条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 福井一郎 裁判官 宮本敦 太田雅也)